仏教徒って?無宗教って? その基準は?

仏教徒って?無宗教じゃないって? その基準は?

昨今、宗教離れ、檀家離れなどお寺界では、ネガティブな話題が多く、Yahooニュースなどでも、トップで扱われることもしばしば。

お寺界だけでなく、一般の人たちからも

「お寺って大変やね」

「坊主が儲からなくなってきたから、焦ってる」

など、様々な意見を見る機会が増えています。

最近では、TERA ENERGYという株式会社ができあがり、「おてらのげんき」という名前で電気事業に乗り出しました。

創設者は、もちろん僧侶。

行動指針には、

仏道に生きた近江商人の〈三方よし~売り手よし、買い手よし、世間よし〉に〈未来よし〉を加えた 〈四方よし〉の精神を大切にします。
1,000年先の未来をみすえ、こころ豊かで、安心・安全な暮らしのために、エネルギー事業を通して、地域の中心であるお寺と社会貢献活動をサポートします。
※HPより抜粋

まず、中国地方から事業を始め、お寺の持っているネットワークで顧客を獲得していき、つながりのあるお寺に利益を還元することにより、田舎の存続が難しいお寺の手助けをしたり、お寺が行う活動費に回すというもの。

そこには檀家離れによる、お寺の存続問題が根底にあると読み取れます。

また事業までいかなくても、多くのイベントや教室がお寺で開かれるようになり、まずお寺に足を運んでもらい、特に若い世代にいかにお寺に興味をもってもらうか!という取り組みが多く行われるようになりました。

このような形で、お寺の存続危機が問題としてあがり、その解決方法として様々な取り組みが行われるようになったわけですが、そこで取り上げられるワードに注目してみようと思います。

お寺の存続危機

檀家離れ

無宗教

仏教離れ

お寺の存続危機を語る際、このような言葉がよく使われます。

また、ネットの記事を見ていると、このような記事が。

中外日報という仏教界の新聞を作っている会社のHPの、社説です。

題名は、「宗教の自己革命 純粋な宗教性の追求」

内容はURLから飛んで読んでください。
主に、純粋な宗教性が失われていることが課題としてあげられています。

無宗教 → 仏教離れ
無宗教 → 檀家離れ

 結果 ↓

  お寺の存続危機

このような構図で、私は受け止めています。

インドのお寺で出会う、日本人の若者に訪ねていること

10年ほど前から、年の半分近くをインド、ブッダガヤに滞在し、「仏心寺」という宿坊を管理しているので、多くの日本人バックパッカーに出会います。

年間、新規の宿泊者が約100名ほど。

下は、高校生から最高齢は92歳

多くは一人旅の人たち。

宿泊日数も多くは、数日から1週間ほど。

旅の理由は様々ですが、ブッダガヤを訪れる多くの人たちは、

「仏教に触れたい!」

という人たち。

ただ勘違いしてほしくないのは、仏教に触れてみたいや興味はあるけど、仏教徒ではない人が8割近くです。

ブッダガヤで出会う、ほぼすべての方に訪ねている言葉があります。
それは

「仏教徒ですか?」
「宗教は、何ですか?」
「どこの宗派、どのお寺の檀家か知ってますか?」

宿泊された方は時間がたっぷりあるので、日本茶を飲みながら何時間も一緒に話をしています。内容は、たわいもないこと。

旅の話を聞いたり、インドの愚痴を聞いたり。
また、人生の悩みなどもあります。
興味がある方は、仏教の話を聞いてもらうこともありますが、多くの時間はそれ以外の話になります。

そこで欠かさず訪ねている言葉が、先ほどの言葉

「仏教徒ですか?」
「宗教はなんですか?」
「どこの宗派、どのお寺の檀家か知ってますか?」

多くの人は、即答できません。
そして

「宗教は、、、無宗教?」
「仏教、、、かな?」
「考えたこともなかった」
「どう答えていいかわからないので、ブッダガヤに来ると答えたあると思ってきました」

このような答えが多いです。
もちろん、

「仏教が好きで来ました!」
「もちろん、仏教徒です!」
「日本人なら、仏教徒でしょ!」

という人もいますが、ごく一部。

そこで前者の答えを出した人に改めて聞くことが

「なぜ、無宗教だと思う?」
「なぜ、仏教徒じゃないと思う?」
「そもそも、宗教ってなんだと思う?」

そうすると

「仏、信じていないし!」
「特にお寺にいかないし、お仏壇でも手を合わせないから」
「宗教について、考えたこともない」
「親とかおばあちゃんとか仏壇見てるけど、私は何もしていないし、家にもないし」
「わからない」

「宗教って、、、神を信じること?」
「宗教は、よく生きるための教えかな。生活規範みたいな」

このような答えが多いです。

まとめると、

仏を信じてないから、仏教徒じゃない
特別に祈りとか先祖の供養してないから、仏教徒じゃない。

宗教は、神とかの存在を信じること。
宗教は、よく生きるための教え。

という感じ。

いつも訪れる人たちと会話をして感じることは

「仏教徒」という基準が、曖昧!
「宗教」という言葉も、曖昧!

そもそも宗教がなんなのか、仏教徒がなんなのかがわからない。
漠然としたイメージで、

「神を信じてないから、無宗教」
「お仏壇に手を合わせないから、仏教徒じゃない」

などという流れになってしまっている。

お寺離れ、仏教離れ、宗教離れなど、様々な問題が言われているが、そもそもその根本である、「仏教徒」の基準、「宗教」とはなんなのかという具体的な提示が、一般の方に伝わっていない。もちろん、それで普通に生活する上では困らないので、ズルズル来ているのが今の様々な状況を生んでいる問題の一つだと感じます。

仏教徒の入り口は?

となってくると、「どういう基準で仏教徒というのか?」という疑問が出てきます。

日本の昔を見ていくと、「戒」という仏教徒が守るべきものがあり、「受戒」といってその戒を僧侶から授かり、守ることを誓って仏教徒になるという流れもありましたが、今の日本では完全ではないものの、どんどん廃れていく傾向があります。

ブッダガヤで、多くの海外の仏教徒と触れていると、戒に関しては守れないにしても守る努力をしている一般の方によく出会います。

たとえば、「八齋戒」といって、一般の人がある特定の日に8つの戒を守るという習慣を今でも続けている国が多く驚いたことも覚えています。

私がいる仏心寺に宿泊する海外の仏教徒でも、

「今日は戒を受けたから、昼からご飯を食べない」

などという会話が、僧侶同士ではなく、一般の方々同士当たり前に行われています。

また、日本にいると「宗教」の話は一般生活ではあまりしない傾向・避ける傾向がありますが、ブッダガヤでは当たり前のように、名前・国などの後に宗教は?などの話になります。
また、仏教徒じゃない人は、仏教徒のことを教えて、という会話も多々あります。

それは、私が僧侶だからというわけではなく、一般の旅人の中でも、

「海外の方と話をすると、日本の宗教についての話になって、何も答えることができなくて困った」

という体験をしたと話する人は、多くいます。

このように、日本では普段考えない「宗教」について考えるきっかけができ、そして、「仏教徒」とはどういう基準で判断するのか、また、どのような人のことをいうのか?ということを実際読むとか聞くだけでなく、お互い話をして考える、そして知ることで、仏教に対する・宗教に対する意識も変わっていくと感じています。

実際、ブッダガヤで出会った若者と話をした後、

「私実は仏教徒だったんだ」

「何もしてないと思っていたけど、実は自然と仏教の教えを実践してたんだ!」

「宗教って怪しいと思ってたけど、以外と必要かも!」

と気づいていく若者が多くいます。

お寺の敷居を下げる!仏教をわかりやすく伝える!といいますが、

僧侶自身が当たり前に使っている「仏教徒」「無宗教」などの言葉を改めて見直し、

どういう基準で「無宗教」じゃないのか

どういう基準で「仏教徒」なのか

とわかりやすい言葉で、端的に示すことが、第一歩ではないでしょうか?

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