法話 じゃなくに、会話をする!ブータン僧侶からの、日本の僧侶へのアドバイス

今年で、インドブッダガヤ滞在も10年を超えてきました。

ありがたいことに、様々な国の僧侶と接する機会をたくさんいただいてます。

インド、ブッダガヤのことをちょっと説明しておこうと思います。

ブッダガヤは、お釈迦様が悟りを開いた場所=仏教が始まった場所

世界中の仏教との共通の認識として、「四大仏跡」という考え方があります。

  • 誕生した場所      ルンビニ
  • 悟りを開いた場所    ブッダガヤ
  • 初めて説法をした場所  サールナート
  • 亡くなった場所     クシナガラ

この四つの聖地を巡ることを、世界中の仏教徒は大切にしています。
その中でももっとも大切だとされている場所が、悟りを開いた場所「ブッダガヤ」

私が普段住んでいる場所です。

先ほどいったように、ブッダガヤは、もっとも尊い場所とされており、世界中の仏教徒が巡礼で訪れるので、その巡礼者の手助け、またそこで長期で滞在し修行をする人たちのサポートをする施設として、各国のお寺が建てられています。

・国を代表するお寺
・その国の宗派を代表するお寺
・有名な僧侶が建てたお寺

世界中の仏教国のお寺が存在し、各国の僧侶・信者さんのサポートを行っています。

もちろん自国だけにこだわらず、国が違っても仏教徒という大きなくくり、もっというと、仏教を志す人・仏教に興味がある人は全て同じという感覚で、国が違ってもそれぞれのお寺に滞在ができ、なにか問題があればサポートをするということが常日頃行われています。

なので、私のお寺にも台湾の僧侶やベトナム・マレーシア・シンガポール・カナダなど様々な仏教徒の方が宿泊し、修行を行っています。

また、ブッダガヤ内のお寺同士、国をまたいだ交流も頻繁に行われ、法要があると他国の僧侶を招待し、お経を唱えてもらうということが多々あり、私もよく他国の法要に参加することがあります。

※ブッダガヤ、マハボディーテンプル

日本に滞在経験があるブータン僧侶との出会い

このように、他国の僧侶・仏教徒との交流をおこなっていく中で、1人のブータン僧侶と仲良くなりました。

ブータンといえば、「世界一幸せの国」として、2016年に世界中に紹介された国としても有名ですね。(最近は、様々な問題があるようですが)

GDP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福)という、国民の幸福度を測る尺度を導入しており、自国の文化を守ることにも大変力をいれ、観光客の制限や、民族衣装の着用などを義務付けている面もあります。

そのブータンの宗教は、チベット仏教!
多くの人が信仰心があつく、仏教に基づいた考え方、生き方が根付いている国で、最近では仏教的な考えのもと、生き物を殺すという理由で農薬を禁止しているという話も聞いています。

そのブータンのお寺がブッダガヤには2つあり、そのうちの1つは国が運営するお寺で、王女様が毎年訪れています。

国営のお寺とは、別の個人的に運営されているお寺に、ブータンの友人僧侶がいます。

名前は、ソナムさん

1年半ほど日本に滞在した経験があります。

約8年ほど前に、日本のある宗派のお寺に滞在し、そのお寺の住職と共に、月参りで檀家さんお家を訪れたり、法要に参加したり、日本各地の巡礼や日本観光を楽しみ、また、日本のお寺の檀家さんとの交流よくされたようで、一緒に笑顔で写っている写真も多く見せてくれました。
日本語が少しできるということや日本が好きだということもあって、気づけば大変仲良くなっていました。

※ラージギル、霊鷲山山頂でお経を唱える友人ブータン僧侶

Teaching じゃなく Talking!

日本とブータンの文化を体験してよく知っており、しかも、日本のお寺の状況をよく知っているソナムさん。

日本のお寺で仏教離れが進んでいる状況や、若い人がお寺に足を運ばないことも知っていたので、ある時、

 「日本のお寺・僧侶の問題点を、どのように日本僧侶は変えたらいい?」

と質問してみました。

そこで、ソナムさんがシンプルな言葉で教えてくれた言葉が大変印象的でした。
それの言葉が、

「Teaching じゃなく、Talking !」

詳しく聞くと

「日本のお坊さんは、Teaching が多かった。

僧侶は、Talking をしないといけない!

そして、Teaching はお願いされたらするもんなんだよ」

と教えてくれました。

ここでいう Teaching は、法話・説法
Talking は、会話です

見た目だけでなく、中身も僧侶

確かに、ブータンの僧侶を見ていると、僧侶と信者さんとの距離感がすごく近い。
もちろん、信者さんは僧侶を尊敬しているのですが、だからといって距離をとるのではない。

僧侶がいると、側にいって話しかけるのは普通。
笑いながら雑談から、真面目な相談も。
一緒に座って笑いながらお茶を何時間も飲んだり、新年のお祝いや法要がある日は、食事を一緒にする姿もよくみかけます。

また、位が高い僧侶とも常に会うことができ、雑談から日頃の悩みを話をする機会が大変多いことに日本とのギャップを感じました。

実は、この姿はブータンだけではなく、多くの仏教国で見る光景で、日本の僧侶と信者さんの距離感とは違うということを感じます。

そして、海外の僧侶と信者さんとの接している場によく身を置いて、会話を聞いていると、一つ大切なことを感じました。

それは、僧侶が話す内容・ものの見方が、仏教的な考え方に基づいていれブレないこと。

初めにソナムさんにが言った

「Talking をしないといけない」

普通に言葉を受け取ると、

「会話をするということ」

になりますが、その会話をするということの大前提には、

仏教の考え方が心に根付いていること。

もっというと

外見が「僧侶」というだけでなく、中身が「僧侶」ということ

そうすると、会話をするだけで、法話のように「仏教的なことを言おう」と思わなくても、自然と仏教的な考え方のもとに会話が進んでいく。

そして、その中で信者さんたちが、

「どうしてそういう考え方になるのか?どうしたらそのような思いになるのか?」

など疑問が出た時に、はじめて「Teachig」(法話・説法)をするという流れ。

実際、多くのチベット仏教では、Teachingと言われる法話会は、誰かがお願いをして行われることが多いのも納得です。

僧侶とは?

最近、日本内でも色々な意見が出ている「僧侶とは?」

そして、若い僧侶たちが悩む「僧侶とは、いったい何だろう?」という問題対しての、一つの答えだと私は受け取っています。

「見た目、法話のテクニックだけではなく、仏教の教えに基づいた考え方・ものの見方をする人が僧侶」

それは、外の人に見せるためや、聖人君主である僧侶を演じるためのものではなく、自分自身が僧侶して生きて行く上で、自分自身の僧侶の姿を測るための基準のように感じます。

もちろん、理論的にはわかっていても、人間だから全て仏教的なことは難しいでしょ!
となりますが、でも、「僧侶」というからには、ある程度の基準がいるはずです。

そして、難しくても、理論的に教えはわかってもできないかもしれないけど、その教えを信じて実践を頑張っている姿は、仏教を伝える上ではすごく重要な姿ではないでしょうか?

教えはわかるけど、じゃあ、どう生活に生かすの?

今は、仏教を自由に学べる時代になり、サイトや本が山ほどある時代です。
でも、一般の方が学び始めにつまずくことがあります。
それは、

「その教えはわかるけど、じゃあ、実生活でどう活かしたらいいの?

よくブッダガヤで出会う日本人の仏教を学びたい、ちょっと学んだ人からよく聞かれる質問です。

・実生活への活かし方が、わからない。
・実際は、できないでしょ。

という声もあります。

その中で僧侶が

「こういう考え方ができるよ、ものの見方ができるよ」

と、法話会や特別な時だけ限定的に話をきいて、触れてもらうだけでなく、普段の会話の中で自然と伝えていくことが、海外の僧侶が実践している仏教の伝え方の一つだと感じました。
そしてそれは、人がお寺に来なくても、いつでも常に仏教を伝えることができる方法ですよね。

また、昨今仏教イベントが増え、徐々に僧侶と一般の人との直接的な接点が増えている中で、イベントを体験してもらうことだけを目的とするのではなく、イベントに来た人と普通に話をする時間(話しましょうというイベント時間ではなく、立ち話など、何気ない会話の時間)こそ、一番自然と仏教に触れてもらう・伝えることができる時間だと考えています。

そのためには、

心の中に仏教の考え方の芯を持ち、普段から仏教的な教えに基づいた考え方・ものの見方をしていること

このことが、なにより重要になります。

そして、その仏教的な芯がある心こそが

「信仰心」

ですよね。

「Talkingをしないといけない」

簡単な一言の中ですが、大切なことを友人のブータン僧侶に教わりました。

次は、「信仰心」の姿を、言葉での意味などではなく、ブッダガヤに集う人々に姿で見せてもらったこと、考えさせられたことを書いて行きます。

合掌

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コメント

  1. waniwanishirza より:

    その地域に合った、その時の人々に合った、お話が宜しいでしょうから、身近な話題~講話~法話、垣根を低くして、お話をして頂けるところが近所に有れば、是非、聞きたいものだと思います。実家の法事などで、お寺さんが来てくれれば、色々お話を聞かせてもらいました。田舎ではその家や集落の古い話も知っていらっしゃる方が多いので、話題も多いのでしょう。

    人気は有ったようですが、怪しい比丘尼モドキの寂〇さんの下ネタ話は、聞きたくありませんが(笑い)。

    宗教的でない方が、現代風にも見えますが、小さな誤解だろうと思っています。サウジアラビアのビザ申請には、宗教欄が有って、シンガポール在住の知り合いの日本人が、無宗教、って記入したら、不許可だったらしい、自分も数回申請しましたが、“Buddhist” でいつも許可になりました、噂によると、無宗教は、動物扱いなので、出入国管理を通るのでは無く、輸出入管理で「動物検疫」を受けろと言う話でした(笑い)。
    お釈迦様は、かんでふくめるように世間の法をのべても、なお、わからない人は、なんとも手のつけようがない、とも仰っているような気もしますが・・翻然と悟る、という事も有るでしょうから、実際は遣っていたのでしょう、だから2500年も続いているし、どんどん広がっているのでしょう。

    ハシビロコウ

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