野生司香雪 が書いた仏画修理、安全祈願法要に参列 in サールナート

野生司香雪 インド、サールナート仏伝保全プロジェクト

11月28日 サールナートにあるスリランカのお寺、ムーラガンダックティー寺で行われた、「野生司香雪 仏画修理、安全祈願法要」に参加をしてきました。

サールナートは、普段私が住んでいるブッダガヤから、車で8時間ほど、電車で最寄の駅まで5時間ほど移動した場所にある小さい街です。

小さい街ですが、ブッダガヤ同様、仏教徒にとっては大変重要な聖地の街になります。

仏教徒にとって重要な4大聖地というものがあり、その一つがサールナートです。

お釈迦様がブッダガヤで悟りを開いた後、悟りを開く前、共に修行をしていた5人に、始めてお説法をした場所と伝わっており、現在その場所には、アショーカ王が記念して作ったアショーカピラーやダメークストゥーパが残っています。

この場所からお釈迦様の教え「法」が広がり始めたことを、車輪が転がり始めることに例えて、「初転法輪」の地とも言われます。

詳しくは

ムーラガンダックティー寺に残る 野生司香雪 が書き上げた、お釈迦様の一代記

そのサールナートにある、スリランカのお寺、ムーラガンダックティー寺の壁に野生司香雪(本名述太 1885~1973)が書き上げたお釈迦様の一代記があります。

ムーラガンダックティー寺は、ダメークストゥーパの東にあり、スリランカの大菩提会が1931 (昭和6)年に建立したお寺。

寺院建立に際しては、スリランカだけではなく、インドや日本も救いの手を差し伸べ、そのつながりから寺院完成後、寺院内部にお釈迦様の壁画を描く計画への協力を、政府へ依頼。

当時の領事が大切な文化交流になるということを判断し、日本側で協議の結果、野生司香雪が壁画を描くこととなり、昭和6年にスタート、紆余曲折あり約5年の歳月をかけ、昭和11年に完成させました。

現在このお寺には、壁画だけではなく、日本から送られた鐘楼も残されており、そこには「於サルナス之寺 日本仏教聡合会 昭和7年」と刻まれおり、日本仏教界との結びつきが大変深いことを感じさせてくれます。

野生司香雪画伯について

野生司のーす香雪こうせつ(本名述太 1885~1973)は、再興日本美術院に所属した近代の日本画家

明治18年、香川県の高松市郊外の浄土真宗寺院の持僧の長男に生まれました。

香川県立工芸学校(現県立高松工芸高校)に進学

大正6年、インドへ仏教美術研究のために渡り、コルカタの博物館やサールナートなどの仏蹟を調査旅行。

昭和6年、スリランカ人のダルマ・パーラ(1864~1933)からの依頼により、サールナートで一代記の壁画制作を始める。

昭和11年、インドからの帰国後、新聞などで紹介され有名人となり、仏教画家、仏画として全国に知られることとなり、信州の善光寺ら新築中の納骨堂、雲上殿の壁画揮毫の依頼が舞い込んだ。本体の工事は昭和16年に完成、しかしその後は第2次世界大戦に突入し物資も不足し、壁画が完成したのは、22年になった。

晩年は、長野市の北、山之内の渋温泉の山荘を借りて終の棲家とし静かに暮らした。

昭和47年 88歳、春雷の朝最後に「感謝」の一言を書き残してこの世を去った。

詳しくは、下記のHPで

壁画修理の安全祈願法要

昭和11年(1936年)に完成した仏画も、約80年近くの年月によりダメージを受け、色の劣化、壁画自体がはがれ落ち始めており、何とかこの貴重な仏画の保存・修復をしたいという、ムーラガンダックティー寺の長年の願いがかなう形で、この修復作業開始の日を迎えました。

11月28日、午後2時過ぎ、日本からこられた永平寺副貫首、南澤道人老師、導師の元スタート。

日本からは、曹洞宗の僧侶5人、工事関係者、一般の信者様が合計12人。
サールナートにある日蓮宗の日月山法輪寺の尼僧様と私、また半年の予定でブッダガヤに修行に来ている若い浄土真宗の僧侶の3人。
また、ムーラガンダックティー寺の主任僧侶、シワリー氏を含めた僧侶4人が参列。

法要は日本式の曹洞宗式の法要が行われ、普段お寺の本尊下に収められている仏舎利を、導師の前に運び、本尊様と仏舎利を前にして、南澤道人老師が表白として、工事の安全を祈願する言葉を述べられた後、日本・スリランカ僧侶、参加者全員がお焼香をして、無事終えることとなりました。

その後、南澤道人老師から参列者へ

「多くの方のご尽力により、修復を始めることができました」

と謝辞を述べられ、これから修復にあたる職人の方々に、

「無事に安全が終わることを祈念しております」

と激励のお言葉を述べられました。

続いて、ムーラガンダックティー寺の代表として、シワリー氏が参列者一人ずつへ歓迎のスカーフをかけた後、挨拶をされ、参列者への謝辞を述べた後、昨年成田空港において、南澤道人老師とお会いされ、共に食事をしたエピソードを述べられた。
最後に

「今回修復される壁画を今まで多くの仏教徒に影響を与えてきたこと、そしてこれからも多くの仏教徒に対していい影響を与えていくことを願っております」

と挨拶されました。

法要に参列して

私が初めてこのお寺を参拝し、仏画を拝見したのは、約20年前の小学校の時になります。
その後、何度も仏画を拝見していますが、何度見てもこの仏画に圧倒され、見入ってしまいます。
特に、お釈迦様の印象的なお顔と、アングリマーラの周り押された手形は、一度見ると忘れることができません。

本当に一軒の価値があります!

今回、このような貴重な法要に参列することができ、大変ありがたく感じます。

80年近く前の仏画。
80年前、この地に来るだけでも、ものすごい苦労だったはずです。。。
その中でずっと一人滞在し、絵を書き続けた野生司香雪画伯は、仏教・お釈迦様に対する絶大なる帰依の心をお持ちだったのだと想像します。
そして、80年間ずっとこの仏画が残ったことも、多くの仏教に帰依する方たがのお守りがあったからだと思います。

日本から遠く離れた国の法要でありましたが、気づけばインドのお寺で住むようになり、今回インドで行われる法要参列するようになるとは、初めてこのお寺を訪れた小学校の頃は思ってもいませんでした。

本当に、縁というのは不思議に感じます。
この法要に参列できたことにより、さまざまな縁の始まりであるお釈迦様に対する感謝の気持ちが大きくなりました。

無事修復作業が終わり、この仏画がこの先何十年、何百年の先まで、多くの方に仏教を伝える役目を担っていくことに切に願います!

皆さん!
サールナートにある日本人が書いた貴重な仏画を見ることも含めて、仏跡巡礼の旅にきてみませんか?

最後に、野生司香雪 インドの仏伝保全プロジェクトの皆さん
修復にあたる彩色設計の皆さん

がんばってください!

野生司香雪 インドの仏伝保全プロジェクトのHP

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