仏教 は伝えるもの!
インターネット、SNS、youtubeを駆使する僧侶達の布教スタイル
この記事は、基本的に日本の僧侶の方に向けて書いてます。
私自身は、10年前から、半年インド、ブッダガヤ、半年日本という生活をしています。
ブッダガヤでは、仏教の一番の聖地なので、多くの海外僧侶との交流がありました。
その中で肌で感じたことを、率直に書いていきます。
少しでも日本の仏教界の参考になることを祈って。
今回は、「各国僧侶のインターネットの活用方法について」
はじめに
「仏教を伝えるために、どう使えばいいのか?」
基本的に私が考えているのは、この考えが中心です。
当たり前ですが
仏教は、伝えるものであり、学ぶもの。
「話を聞いて、考えて、実践すること」
これが仏教を学ぶプロセスと言われています。
なぜ、海外の僧侶のスタイルを参考に?
端的に答えると、
-
遠く離れた信者とリアルタイムで常に繋がっている姿がある。
-
また、インターネット上に記事や動画を残すことにより、それが共有され、接したことがない人たちに自動で広がっていき、最終的に自国以外の海外の信者を獲得している姿がそこにあるから。
ほぼ全てのブッダガヤにある寺院・僧侶たちは自国から遠く離れた場所にいることになります。
そして、そのお寺・僧侶たちを支えるのは、自国・もしくは海外在住の信者がメインです。
僧侶は、法を布施する。
信者は、布施をして僧侶を支える
遠く離れた人たちとの接点をどのようにしてもつのかは、日本の人たちがいう、「お寺離れ」に共通する点が多く感じます。
- 核家族が進む日本
- 田舎から都会に出る若者
- 同じ家に住まなくなり、別の都市に移り住んでしまう子供達
- お寺との接点がなくなっていき、敷居が高い!という一般の人たち
- 逆に、接点が持ちたいのに、持てない僧侶の悩み
似たような状況の中で、他の国の僧侶たちが実践していることが、正解とは言わないですが、一つの問題解決のきっかけになると感じています。
そして、上記にも書きました。
インターネットを使うことにより、今まで信者ではなかった人たちが、動画で教えに触れることにより、信者になるというケースが多々ある!
自国の言葉だけでなく、その教え・法要の内容を英語に翻訳し、英語の言葉で吹き替えをしたり、英語の字幕をいれることにより、自国以外の英語ができる人たちが教えに触れる第一歩になっています。
インターネットは、あくまでもツール
一人一台スマートフォンを持ち、日常的にSNSやyoutubeなどインターネットに触れている現代の人たち。
それは日本人だけでなく、世界中でも同じ現象が起きており、インドでも3、4歳ぐらいの子供たちが当たり前のスマホを使い、youtubeの動画やゲームを楽しんでいます。
そして、各国仏教界でも、この現象は一緒です。
多くの僧侶がスマホを持ち、日常的に使っています。
戒律で所持品を厳しく指定されている上座部仏教の僧侶の方々でさえ、スマホや携帯電話が必需品になっています。
使い方は、電話はもちろんですが、他にもFacebookに投稿したり、youtubeの動画も見たりという使い方から、お経の本をPDFにしたものをスマホの中に入れておき、常に目を通していたり、自分の尊敬する先生の写真を持っているという僧侶にも多々出会っています。
ものは、使いよう!
このような言葉がありますが、スマホも使い方・接し方によって、大変役立つものになるはずです。一人一台持っているので、そのスマホとうまく接点を持てれば、常に、そしてダイレクトに布教ができるはずです。
ちなみに、皆さんはどのようにスマホを使っていますか?
・日頃の何気ない写真、美味しいご飯などを撮影して、SNSにUPするために使っていますか?
・youtubeで面白い動画を見るために使っていますか?
・ゲームをするために使っていますか?
・お経の本を読むために、使っていますか?
・お釈迦様の教えを学ぶために、伝えるために使っていますか?
はじめに書いたように
仏教は、仏を信じるだけではなく、学んで、実践することが大切です。
なぜ強調するかと言うと、インド・ブッダガヤに滞在していると、多くの日本人の無宗教という人たちに出会います。
年齢はさまざま。
大学生から80台まで。
その人達になぜ無宗教か聞くと、
「仏や神を信じていないから」
という答えがしばしば帰って来ます。
じゃあ、
「宗教はどういうものだと思う?」
と聞くと
「なんだろう?生き方?神様の教え?」
などさまざまな質問が帰って来て、宗教の言葉の定義が曖昧だったり、意味がわからずなんとなく使っている、そして、「ニュースで無宗教という言葉を聞いてからそう思っていた!」などという答えがしばしば返って来ます。
このあたりは、前のブログでまとめたのでそちらを読んでください。
話を戻しますが、仏教は、学んで実践するものです。
僧侶はもちろんですが、信者さんも一緒です。
そして、仏教に触れてもらうことで、少しでもこの教えによって救われる道を進むことを願って布教することが僧侶が勤めでもあります。
・どのように学んでいくのか?
その方法は、各国のスタイルを見ていると、ずっと長年伝わって来た伝統的な法要スタイルや法話スタイルが用いられてます。
チベット仏教を例えば、法要の儀軌次第はあまり変わっておらず伝統に乗っ取ったスタイルが使われ、何日も法要が行われ、古い儀軌次第も復刻したりしています。
このように、実際行うスタイルは変わらないですが、
どのようにその法要や法話を見てもらうのか!
もう少し言うと、
どうやって多くの方に届けるのか!
その部分を工夫されており、そのために
使えるものは全て使っていく!
これが、海外の仏教徒のスタンスのように感じます。
大昔は伝える手段が、師匠から直接口を通して学ぶだったものが、印刷が発展すると書物にななったように、それが現在はインターネット上に変わっていくプロセスは当たり前の流れのように感じます
ただ注意しないといけないのが、だからといって、教えに反した度を越した伝え方、
例えば、仏に敬意を持っていない行為や侮辱する行為、嘲笑うような行為や、大音量で気分を高揚させるような音楽を鳴らすなど、教えの中から受け取れる超えてはいけない一線は、超えないように注意されていることも見ていると受け取れます。
仏教は、仏・法・僧の三宝に帰依するのが基本なので、そのことから考えると、仏を侮辱する行為、嘲笑う行為は、仏教徒としてはありえない行為ということになります。
前置きが長くなりましたが、ブッダガヤで出会った世界の仏教徒がどのようにインターネットと付き合い、どのように布教に生かしているのか、いくか例をあげて見ていこうと思います。
布教のために
Facebook,twetterの活用
facebookのファンページはご存知でしょうか?
ご自身のお寺のページを持っている人も多いはず。
また、ツイッターもそうですね。
お寺のツイッターのページを持っている人も多いと思います。
海外の僧侶やお寺も同じく、それぞれのページを作っています。
そして、法要のたびにイベント情報をのせ、共有しています。
海外の方は、特にfacebookは情報を共有する場、ニュースなどをえるば、そして、勉強する場として捉えている人が多く感じます。
ある日本に住んで、娘さんが日本で生まれたタイ人女性にこんなことを言われました。
「うちの娘が、日本のお坊さんは生臭坊主だ!という悪いこと言うんです。
お坊さんにそんなこと言うなんて、信じられません。
でも、娘は日本にいてお坊さんとか仏教に接点がないから、そう言うんだと思います。
ぜひ、fecebookで法話や仏教を教えてください。発信してください!」
この言葉が物語っているように、facebookは、学ぶ場として海外では認識されています。
ただ、例にだしたfacebook、twitterは、いいね!や登録してもらうことがゴールではなく、それは第一段階です。
そこが窓口となって、次の動画、ライブ配信などの活用に繋がっていきます。
Youtube、facebook動画、ライブ配信の活用
近年各国の仏教徒がこぞって取り入れているのが、動画の配信やライブ配信。
動画サイトで一番有名なサイトは、Youtube ですね。
日本の人たちも日々利用していると思いますし、小さい子供達もマンガを見たり、面白い動画をみて楽しんで、ある人は、学びのため、例えば語学学習や、ソフトの使い方など本だけでは勉強しづらいという方は、動画を見ながら学んでいる人も多いと思います。
多くの国の僧侶やお寺も、この動画サイト特にYoutubeを率先して使い、世界中の信者さんに対して、またこの場に来れない信者さんに対して、教えを広めています。
録画したものを編集して配信することもあれば、Live機能を使い、生中継を使うこともあります。
先ほど言ったように、facebookなどの登録がまず窓口となり、その窓口を使って動画やLive機能で法要の生中継などを行い、遠くてこれない人たちも・法話を聞きたくても聞きに来る時間がない人たちに届けています。
配信する法要や法話の内容などは、もちろん伝統的なものです。
以下一部の例をあげてみます。
世界的に有名なダライ・ラマ法王のYoutubeサイトです。
この動画は、日本の横浜で行われたティーチングと呼ばれる、
その他の動画サイドで、翻訳された動画の配信
見ていただければわかりますが、上記の動画サイトは、日本語の通訳がリアルタイムで入っており、実際同じ時間にリアルタイムで全世界に配信されていました。
チベット仏教だけでなく、戒律の厳しい上座部仏教でも積極的に取り入れられています。
こちらの動画は、タイの森林派で森仏教とも言われている、特に厳しく戒律を守っているお寺が作成した動画で、出家の儀式をしている際の動画です。
今まで紹介した動画は、大法要や実際の教えをそのまま配信している動画ですが、他にもエンターテイメント、コンサートになっている法要の動画も配信されています。
一番印象的だった法要が上記でも紹介した、チベットカギュ派がおこなっている「Marme Monlam」と言われる法要です。
毎年その年のテーマ、例えば「エコ」や「自然」についてなどを決めて、そのテーマに関連した世界中のアーティストを集めてコンサートを行い、最後はカギュ派のトップの転生者、カルマパ猊下が仏教の関する歌を歌うという流れ。
最後の歌に関しては、チベット語バージョンはもちろん、中国語バージョン・英語バージョンもあり、世界中から集まる、そして世界中で見ている人たちが一緒になって歌え、その法要に参加できるようにということも配慮されていることに驚きを覚えました。
そして、一番注目した点は、そのクオリティの高さです。信者の中で、一流の技術を持った人たちが、その技術を惜しげなく発揮し、僧侶は、僧侶の立場で、信者は、信者の立場で一丸となって仏教を伝えている姿がそこにあります。
台湾の友人は、毎日通勤の車内で日本のお経をyoutubeから流して聴いていると教えてくれ、タイの友人は、日本の坐禅の解説をyoutubeで見ながら、坐禅を学んでいるとも言っていました。
そして、その動画などをまた他の人に共有するので、仏教が広まっていくと言う流れができています。
信者さんとダイレクトにコミュニケーション
各国の僧侶は、とにかく信者さんとのダイレクトのコミュニケーションをよく取っています。
先ほど例にだしたfacebookでは、メッセンジャーというアプリ。
メール機能のようなものです。
また、日本でも有名なLineのような電話やメッセージが無料のアプリもそうです。
ほかにもLineに似た、Whatsapp , weechat , viber など様々な同様のアプリがあり、国によって使われているアプリが違います。
ブッダガヤ在住の僧侶達は、複数のアプリを登録して、その国の人にあったアプリを使って常に連絡をとりつづけています。
内容は、何気ない会話から法話、そして人生相談までさまざま。
時には、
「家族が亡くなったので、代わりにマハボディーテンプルでお勤めをしてください。」
や
「バターランプのお布施をしてください」
というメールが海外から届いて、お勤めを行うという姿もよく見ます。
そうやって密に連絡を取っているので、僧侶との距離が実際は離れていても、身近に感じている信者さんが多いです。
使い方によって、信者さんもスマホ、インターネットに価値を見出してくれる
そのように発信することによって何が起こるかというと、世界中でそれを見ている信者さんたちが、スマホに価値をみいだしてくれ、必要だと感じてくれます。
友人にタイの僧侶とその信者さんがいますが、ある日信者さんが僧侶ににIpadをお布施している姿を見ました。
他にも、iphoneのお布施などをしている姿も見ています。
信者さんに
「なぜ,iphoneなどをお布施するの?」
と尋ねたことがあります。
そうすると
「iphoneを持っているといつでも連絡取れるでしょ?
それだけじゃなくに、様々な場所に行った写真や動画をfacebookなどで共有してくれるから、私たちもそれを見ることによって勉強になるから大切なの」
と言われました。
実際に、世界各国の僧侶とfacebookで繋がっていますが、多くの僧侶は日々facebookを更新し、自分が訪れた聖地などの写真と説明をUPし、法要の様子を動画に撮ってUPし、何もない日は、お釈迦様の言葉をUPしています。
私自身も知らないことが多々あるので、勉強になる!と感じて見ていますから、他の信者さんたちも、同じことを感じているはずです。
なのでそのことに必要なツールを大切に感じてくれ、お布施をしてくれる。
また、動画やLive配信に関していうと、少しでも法要・法話を、もっといい動画・もっといい音を聞くことができたら!という思いから、いいカメラをご寄付されたり、いいマイクをご寄付されると言う流れが出来上がっており、今ではプロと同じ機材を使って配信をしているお寺も多々見ています。
いかに、触れてもらうか。どうしたら見てもらえるのか!
このように海外の仏教徒のインターネットの使い方に触れてみました。
どうしたら、見もらうことができるのか!
そのために、ツールをどのように使うのかを重視されています。
伝統スタイルを、生でみるのか、もしくはそれが画面を通してなのか。
それだけの違いです。
伝統の儀式スタイルを変えることが間違いとは言わないですが、伝統の儀式スタイルにはすでに凝縮されたものがあるはずです。
特に仏教は、伝統、戒律の流れなど、昔からのつながりを重視して来ているものです。
それをまだ見てもらってもいないのに、体験してもらってもいないのに変えていくことは、順番が違うようにも感じます。
そういう意味で、伝統スタイルを大切にし、その上で、その姿をどのように見てもらうか、伝えるかを重視している海外の僧侶たちの姿は、大変勉強になります。
Youtubeは、面白い動画をみるだけのものでもなく、facebookは、仲間のつながりでご飯を共有したりするだけではないんです。
使い方によって、可能性を秘めています。
皆さんは、伝統の変化を求めますか?
それとも、伝統を守って、伝え方の変化を求めますか?
少しでも参考になること、またインターネット使用への抵抗がなくなることを祈っております!
次回は、
日本でたまに議論に上がる
「インターネットで中継をすると、お寺に来てくれないのではないか?」
に関して書いていく予定です。