お盆 が終わりました。
8月に入り、バタバタしていた日々も一段落。
皆さんは、お盆どのように過ごしましたか?
実家に帰りましたか?
お仏壇に手を合わせましたか?
お墓に行きましたか?
ご先祖様に、想いをはせましたか?
私は僧侶なので、たくさんの方の家に行き、ご先祖様にお経を唱える毎日でした。
お盆で家にお参りに行くと、普段法事などで家にお邪魔する時とは違った印象を受けます。
お盆だから里帰りをしてくる、子供や孫、ひ孫達。そして、親戚
一歩家の中に入ると、家の中が大変明るく、楽しそうな雰囲気を感じます。
お仏壇の前には、特別に用意された多くのお供え物や飾り(キュウリやなす、蓮、提灯)
その前で集まって手を合わせて、ご先祖様に想いを向ける姿
普段一人、もしくは夫婦二人だけの家にも、たくさんの賑やかな声が響き、「大変なんですよ」と言いながら、顔は嬉しそうなおじいちゃん・おばあちゃんの姿を見ると、暖かい気持ちになります。
そして、この集まっている姿をご先祖が見ていたら、どのような気持ちなのか考えてみると、率直に喜んでくれるのではないかと感じます。
ただ、時間は過ぎていくことは、当たり前
楽しい時間・嫌な時間関係なく、すべて同じように過ぎていきます。
(嫌な時間は長く、楽しい時間はあっという間に感じるという、感覚の違いはりますが)
今回のお盆が終わって感じたことは、「何ともいえない寂しさ」
あげていくといろいろありますが、一つは昨年までお盆のお勤めで訪れていた家の方が亡くなると、その次の代の方がお盆の棚経を断るという方もいらっしゃいます。
様々な家の事情・仕事などがあるので、仕方ありませんが、それでもお会いできなくなる・その方の為にお経を唱えられないということは、実際大変寂しく感じます。
それ以上に、お経を唱える人が減っていく寂しさ。
もちろん楽しい時間を過ごしている、笑っている姿を見るのは嬉しいと思います。
が、お盆は仏教の行事であり、長年続けてきた供養の形。
その形が名前だけ残り、意味が忘れ去られてしまうのは率直に寂しいです。
認知症のお母さんが求めるモノは。。。
8月20日夜、テレビのニュースを見ていたら、あるドキュメンタリーが流れてきました。
それは、テレビディレクターの娘が自分自身の母が認知症で変わっていく姿を記録し、認知症の介護のつらさの現実という番組でした。
大好きだった母が80後半の大好きな母親の認知症が進んでいく姿
しっかりしていた母の物忘れが激しくなり、そのことに苦しむ母の姿
そして、わがままになっていく、暴れる母を受け止めきれない娘
90を超えた父は「自分が100まで生きて、妻を見ていくんだ」と覚悟してどんと構える姿
そして、それを冷静にサポートするヘルパーさん
日に日に母の地方が認知症が激しくなり、母親も暴れていく
「私はばかになっていく」そのイライラから短期になり、一層暴れモノに当たり始める
「私の事を誰も聞いてくれない」
ある日母が「私はバカだら、死んだ方がいいんだ。包丁を持ってきてくれ!」といって暴れ始めた。
いつも冷静な父が急に
「だったら死ね!」
と言って怒り出した。
が、母親のそばからは離れなかった
そこにヘルパーさんがきて、いつもどおり掃除を始める。
そこでカメラを向ける娘さんに一言
「お父さんにかまって欲しいだけなんですよ」
振り返ると、横になって暴れていたお母さんががお父さんに向けて手を伸ばし、お父さんは新聞を読みながらお母さんの手を握っていた。
亡くなった人の想いは?
亡くなった人が私たちのことをどのような気持ちで見ているのか、直接聞いたことがないので私自身は想像することがしかできません。
ただ、お経に説かれているように、私たちの事をあちらから想ってくれている、見てくれていると信じています。
普段は仕事で忙しく、忘れてしまうことがあるご先祖様に対する想い
その互いの想いが繋がる日が、お盆の日であって欲しい。
お仏壇に、お位牌に手を合わせながら、ご先祖様の姿みて、感じましたか?