ダライラマ法王 ティーチングin ブッダガヤ2018  1日目

ダライラマ法王 ティーチング ブッダガヤ 1日目

インド、ブッダガヤで、1月5日午前8時半過ぎから始まったダライラマ法王によるティーチング。

昨年は、カーラチャクラというチベット仏教でも一番大切な法要が行われたブッダガヤですが、昨年に引き続き今年もダライラマ法王がブッダガヤを訪れティーチングが行われています。

到着の様子はこちら

今回は、昨年のような大法要ではなく、インド人・そしてモンゴル人による要望で行われるティーチングで、3日ずつ2回に分けて行われます。

日程は以下
2018年1月5日-7日     『転法輪経』『聖稲芉経』
2018年1月14日-16日    『菩提心の解説』『37の菩薩の実践』

1日目

1日目の法話は、午前8時半過ぎから始まり、12時過ぎに終了。

今回の法話は、インド人グループからの要望で、インド人に対する法話でもあるので、ダライラマ法王がチベット語でお話をされ、それをヒンディー語に訳してと、交互に進んでいく形で進んでいきました。
(その他の国の通訳は、FMラジオでリアルタイムで聞くことができます)

導入

大変寒い中でのティーチングで、霧と寒い冷気で会場が満たされた中行われ、ダライラマ法王も寒そうに両手を羽織っている物の中に入れた状態で、

「ブッダガヤは釈尊が成道された特別な地です。大変寒さの中での法話かいですが、その寒さにもご加持があるのではないか?」

と冗談を交えてお話を始められました。

まず、法話の前にパーリ語とサンスクリット語での読経が、インド人の大人のグループと子供の2グループよって行われて法話がスタート。

「無我」と「縁起」の重要性、3つの法輪について、また『転法輪経』に出てくる阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)生い立ちを簡単に説明されました。

その後、「初転法輪」で説かれた仏教の基本的で欠かすことができない大切な教えが四聖諦と強調。

そこから釈尊が行われた対機説法・五蘊(色・受・想・行・識)など仏教の基本的な教えに触れられ、すべてに実体がないという「無我の見解」の何度も説明されました。

また、「聞・思・修」(もん・し・しゅう)という言葉で、聞くだけでなく、それを考え、実践をする事おっしゃり、その例えとして釈尊の言葉

「比丘達よ、私たちの教えを鵜呑みにして信心してはならないはならない。
あたかも、金職人が焼いて斬ってこすってそれが純金であるか確かめるように、私の教えを確かめて確認してから信心するべきである」

を引用し

「釈尊の教えに疑いを持って、調べなさいと私たちは許可をもらっている。だからこそ、しっかりを教えを分析しなさい。釈尊の教えは、論理的な教えなので、経典に書いてあるからと、信じる教えではない。正しい根拠に基づいているか、正しい根拠に矛盾する部分があるのかどうか自分自身の知性で調べていかないといけない」

とお話しされ、その為には、私たち人間が持っている、素晴らしい知性をフルに使わないといけないと伝えられました。

途中、インドの方々に対する言葉もあり、

「ずっと伝わってきたこの素晴らしい教えは、インドで始まった!インドの人達が、後世に語り継いでいって欲しい。この教えは、宝の教えであるので、インドの皆さんが興味を持ってください!」といわれ、インドで唱えられた「アヒンサー」非暴力の教えの重要性に触れた上で、

インドは様々な宗教が共存する「世界の模範」のような国です。

このように、私たちは他と共存しないと生きていけない、つまり自分自身の幸せは、一切有情に依存している。だからこそ、他と共存することが大切になってくる。

21世紀の教育で不足しているのは、「おもいやりの心」の教育。つまり「愛と慈悲」であり、そのことを、私たち一人一人が自分自身で実行することが大切!

と伝えられ、経典に入っていきました。

「転法輪経」

まず「心」について触れられ、「心がニュートラルな状態、沈められた状態がいい状態であり」「かき乱された心を、静める事が修行である」と述べられ、「釈尊も、ただ出家したという事だけ見るのではなく、心を清らかにしようとして出家したとみるべきであると」と述べられた。

そして、苦しみについて触れられ「無理、無明がすべての苦しみの原因」であり、ゆえに「無明をはらす智恵こそが、苦しみから逃れる教えである」と説かれました。

私たちは、「苦を望まず、幸せを望む」

恐怖がないレベルの幸せ(おいしいものを食べる・いい音楽を聴く)を求めるのではなく、心の満足感、純粋に心からわきでる幸せを求めないといけない。
その為には、苦の真理を理解する必要がある、それが四聖諦。

その中でも、最後の二つ「滅・道」この二つが特に大切と述べ、ナーガールジュナの中論の文章を引用され、「ただなくすことを求めるのではなく、対策が必要」だと強調。

「実体がないものを、実体があるとして、苦を感じてしまう」

実体性を滅するためには、正しい「空」の理解に基づいた「縁起」の理解が必要であり、それによって実体性をなくすことができれば、苦しみもなくなっていく。

その為には、無知をはらす努力が必要

「たくさん教えを聞く」

    ↓

「何度も考える」

    ↓

「瞑想をして、体になじませる」

といわれ、瞑想とは何も考えないのではなく、教え(空の教え)を体になじませていく行為であると付け加えられました。

最後に改めて

「苦を望まず、幸せを望む」のはみんな同じ。
その苦とは何か知って、しっかりと実践すること!
熱望を持って、実践をしてください!という励ましの言葉で、初日のティーチングを終えられました。

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