マハトマ・ガンディーが暗殺された日
この名前を聞いたことある日本人は多いと思います。
また、ガンディーの有名な言葉「非暴力」と言う言葉も、聞いたことある方多いと思います。
もちろん、インドでも大変有名なマハトマ・ガンディー
1869年生まれ
18歳の時ロンドンに留学し弁護士となり、南アフリカで開業。
その時に受けた差別をきっかけに、差別撤廃運動などを行った。
その時に受けた差別をきっかけに、差別撤廃運動などを行った。
インド帰国後は、イギリスからの独立運動に励み、「非暴力・非不服従」を唱えた。
また、「不可触民」制度撤廃に関しても、精力的に活動した。
ただ、1948年1月30日、自宅庭でボディーガードのヒンドゥー教徒による暗殺という、大変悲しい形で、人生の最後を迎えた。
最後の言葉は「ヘイ・ラーム」「おぉ、神よ」という言葉だったと伝わっている。
1月30日は、暗殺された日として、毎年国を挙げて式典を行います。
午前中は、荼毘に付されたラージガート
夕方からは、暗殺された場所、ビルラー邸内の庭
大統領から首相、各大臣から軍関係者まで、国を代表する方々が勢揃いするこの式典。
また、インドにあるすべての宗教の代表者が集まり、それぞれが5分ほど祈りを捧げていく日本ではあまりないスタイルの式典です。
今回ご縁があって、この式典に参加することができました。
セキュリティはもちろん厳しく、招待状の名前とパスポート、全身のチェック。
9時半頃に始まった式典
アルファベット順にそれぞれの宗教の代表者が祈りを捧げていきます。
一番はじめは、Buddhism.仏教
しかも、そこで声を出すのは日本人僧侶です。
あまり知られていない事実ですが、毎年仏教徒代表は、日本人僧侶なのです。
その後、ヒンディー教、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター教、ジャイナ教、シク教(順不同)の代表者が祈りを捧げられました。
最後に、ヒンドゥー教のバジャンと言われる歌のような祈りが捧げられ始めると、各要人が会場に一人ずつ入場し、荼毘に付した場所に花を捧げていきます。
(全員がそろってから始めるのではなく、最中に集まってくるところもインドっぽいです)
全員がそろったところで、軍隊による空砲が発射され、数分間の黙祷で終了。
(そんな中でもクラクションが聞こえるインド。。。)
約1時間ほどの式典はあっという間に終了。
次は、午後の3時過ぎから暗殺された、ビルラー財団の家に集合。
現在は美術館になっているので、誰でも観覧することができます。
当日は、もちろん招待状がないと入れません。
そして、午前中にいなかった周辺の学校の多くの子供達が招待されており、子供達の歌から式典がスタート
その後、午前中と同じ順番で各宗教者が祈りを捧げて、式典が進んでいきます。
午前中は、ピリっとした雰囲気の式典でしたが、午後は子供達や、有名な歌手の歌がありアットホームな雰囲気な式典でした。
会場の中心では、ガンディーの象徴である、チャルカという糸つむぎの木で作られたものを使って子供達が糸をつむいでいました。
また、モディ首相が登場するとみながカメラを向け興奮していたので、モディ首相のインドでの人気度も窺えました。
以下写真(午前中は写真撮影ができませんでした)
招待状
入り口で待つ子供達
会場
暗殺された場所
祈りを捧げる、ガンディーさんの孫娘
並ぶ各宗教者
モディ首相の到着
会場の全風景
参加した宗教者
会場の全体風景
非暴力・非不服従を掲げたガンディー
その意思を次いで行われているこの式典。
各宗教者が集まり、それぞれのスタイルで祈りを支えるスタイル。
それを国が主催しているインド。
それを国が主催しているインド。
見習う点が多いなと率直に感じました。
日本も宗教には寛容とはいうが、でも共に集まることは少なく(最近増えてきているが)、それを国が主催することもない。
もちろんこの行事は、テレビで生中継されインド国中の人が観覧できている。
平和の象徴として、大切に残していってもらいたい式典だと感じました。
そして、これが式典だけでなく、インド自体が宗教の調和がとれた国として長く続いていくことを祈ります。
そして、これが式典だけでなく、インド自体が宗教の調和がとれた国として長く続いていくことを祈ります。