お布施 とは?ブッダガヤで、海外の仏教徒と触れて。

お布施 とは?

私が年に半分近くいる場所、ブッダガヤ、マハボディーテンプル

仏教が始まった場所。

詳しくは

 ↓

仏教の聖地ブッダガヤ、マハーボディーテンプル(世界遺産)
私がいるインド、ブッダガヤ 仏教が始まった場所であり、世界遺産 仏教最大の聖地 インド北東部に位置するビハール州に...

私は僧侶なので、マハボディーテンプルにいると各国の僧侶、信者と接することが多く、そして、お布施をいただくことがあります。

昨今、日本では「お布施」というものの捉え方が変わってきているように感じます。
お坊さん側からのお布施の感覚と檀家さん側からのお布施の感覚のギャップが、広くなっているようにも感じます。
どちらがいいのか、正しいのかというのは、私が言うことではないが、せっかく仏教の始まった場所で、様々な仏教徒と接しているので、他の国の方のお布施の姿をかいてみようと思う。

菩提樹の下で

私はできるだけブッダガヤにいる時には、マハボディーテンプル・菩提樹の下に行きます。

下の写真が菩提樹です

Pray for peace in bodhgaya tibetan buddhism by ryosho shimizu on 500px.com

写真のように、巡礼シーズンになると、たくさんの仏教徒が集まります。
そして、お坊さんに対する布施や信者同士の布施が行われます。

タイ僧侶からの布施

朝6時過ぎ、菩提樹の下に座っていると、友人のタイ僧侶が歩いてきました。

色白で身長が高く、姿勢の良さが印象的で、僧侶になる前は、日経企業に務めていたエリートです。

隣にタイの信者さんを連れて歩いており、その信者さんはたくさんのビニール袋を持っていました。
その復路の中には、タイ料理(ご飯とおかず)が入っており、それを何十人もの人に配って歩いていました。

そして、私の前にも立ち止まり、笑顔で「Breakfast」(朝ごはん)と一言言って、私の手のひらにそっと置いて、また別の人の所へ歩いて行かれました。

チベットの仏教徒からの布施

別の日、昼間菩提樹の下にいると、チベット人の仏教徒の女性が、ブドウの房をもって、座っている人の前で順番に立ち止まって歩いてきました。

私の前にも立ち止まり、ブドウの房を両手にもって差し出してくれました。
一粒自分でとって頂いたら、また横の人へと回って行かれました。

一人一人、ブドウの一粒ずつをお布施して回っていたのです。

チベット尼僧からの布施

菩提樹から少し離れた日陰で休んでいると、チベットの尼僧さんが10ルピー(20円弱)の紙パックのジュースを大量に箱買いし、インド人にもたせて、マハボディーテンプル内で修行をしている人たちに(僧侶・信者関係なく)、一つ一つ配っていました。

台湾の友人の布施

毎年2ヶ月ほど、ブッダガヤに滞在する台湾の熱心な仏教徒の女性。

何度もお布施となる、飲み物やご飯を頂いているので、「自分もお布施をするんだ」といって、ジュースを箱買して、修行している人たちに配って歩いた。

別の日には、チベタンブレット(ドーナツ型の揚げパン)を大量に購入し、配って歩いた。

チベット・タイ・ベトナム信者の布施

菩提樹の下で座っていると、周りにいる僧侶達一人ひとりに、お布施のお金(10ルピー〜数百ルピー)を配っていた。
私の手元にもお布施をおいて、お布施をした信者さんが頭を下げて、次の僧侶の方へ歩いて行った。

お布施は、自分の出来ること

このように、お布施はお金だけではなく、ご飯や果物、飲み物など、様々なものであって、そして、自分のできることを他者へ施している姿があった。

お金がある方は、現金をたくさん。
お金がない方は、ぶどうの粒を一つづつ。

自分ができることを、精一杯施すという姿を感じました。

また、頂いた側も、また他者へ施していくという姿もあり、あくまでも、他者のためであり、そして、最後の信者さんが頭を下げていたように、させて頂くという感覚の元、布施の修行が行われていました。

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