「宿坊に宿泊できて、徳を積めて有り難い」タイの仏教徒と旅して学んだこと。

3月末、2年前も日本に来たタイの信者さん二人を案内して、また日本を旅してきました。

今回は、2泊3日と短い旅。

一人の信者さんは、日本2回目(2年前が初めて)
今回は、私のお寺にお参りに来ることと、桜を見たいという要望でした。

もう一人の信者さんは、何度も日本に来ているので、日本にも慣れている信者さん。
ただ、毎回一人での日本の旅だったので、他の人ましてや、日本人との旅は初でした。

ということで、今回は京都のお寺で桜を見ることがメインの旅になりました。

間違えた。

メインは、私のお寺にお参りに来ること!
そのついでに、桜を見る!と言う旅。

3月末は例年だったら、桜を見るのには少し早い時期でしたが、今年は桜が早く咲き、満開も早かったので2泊3日の中で満開の桜を楽しむことができました。
来日前には、「桜見れないよ」と私は伝えていて、そのつもりだった信者さんは大喜び!

東寺の桜
知恩院の桜
高台寺の桜
円山公園の桜
祇園白川の桜
醍醐の桜

タイ人の自撮り好き(世界共通かな?)が爆発して、桜とのツーショットでカメラの中は一杯に。

これだけ喜んでもらい、日本の桜に感動してもらえたことは、案内をしていて本当に嬉しかったです!
私自身も、人混みが嫌いなので、これだけ満開の綺麗な桜を見る機会が無かったので、有り難いご縁を頂きました。

また、一緒に旅をしていると、日本人と旅をしていると気づかない感動する点や不便な点を気づくことができ、違った日本に気づくきっかけをもらいました。
そして、仏教徒なので、仏教に対する敬意の表し方、何気ないことに対する仏教的な物事の受け止め方の違いを、行動や言葉の節々に感じました。

仏様の前は、合掌!

一つは、様々なお寺へ観光に行きましたが、どのお寺でも仏様の前を通るときには、合掌をして1分近くお祈りをしてから通っていたこと。

それまでは、二人賑やかにお話をして写真もどんどん携帯で撮っていても、仏様の前に言った瞬間、何も言わず二人ともスッと手を合わせ祈りを捧げていました。

それ以上印象的だったのは、その周りを日本人が何気なく通り過ぎ、仏様を眺める人はいても合掌をする人がほぼいなかったことに対しても、驚きでした。
それは若い人に限ってではなく、老若男女です。
もちろんすべての人が手を合わせなかったわけではないですが、80%近くのの日本人は手を合わせていなかったように感じます。

「これはどんな仏様かな?
 誰が作ったのかな?」

という会話から

「この仏様の由来は。。。」

と話す人はいても、手を合わせて行く人の少なさが目につきました。

もしくは、カメラを向けて写真を撮るだけ。。。

もっとも印象的だった出来事は、宿泊の際に出た言葉です。

宿泊で、徳を積む

今回京都で宿泊したのは、浄土宗の総本山、知恩院内にある、「和順会館」という宿坊
円山公園のすぐ隣にあり、京都観光にも最高の立地。
歩いて、東山の観光スポットを回ることができ、夜ご飯に祇園や木屋町などに徒歩で行ける場所です。

また宿坊といっても、清潔で設備も整っており、部屋は和室洋室があり、地下には大浴場。
もちろん、宿坊なので、早朝に行われる知恩院本堂における朝の勤行に参加することも可能で、早朝ロビーに希望した宿泊者が集まり、僧侶が本堂まで案内してくれます。

綺麗でお寺に泊まることができ、朝のお勤めまで参加できたことに、信者さんからは大満足の声をもらい、次の機会にはまた泊まりたいということも言っていました。

早朝の法要が終わり、朝ご飯を食べている最中に今回日本が2回目の信者さんからこんな質問をされました。

「この宿坊に泊まって払うお金は、どこに行くんですか?」

もちろん、諸々の経費を引いた後は知恩院に行くので

「さっきお参りした知恩院に行きますよ」

と答えると、満面の笑みで思わぬ返事が返ってきました。

「綺麗な宿坊に泊まることができて、なおかつお寺にお布施ができ徳を積むことができるなんて最高です!」

どうでしょうか?

お寺に宿泊するということは、お布施をするという感覚なんです。

皆さんでしたら、どのような気持ちで宿坊に泊まりますか?

タイの熱心な仏教徒は、「タンブン」と言われる「徳を積む行い」を熱心に行って、その徳のお陰で来世の自分がいい場所に生まれ変わることができると信じられています。

そのタンブンをする中で、特に仏教に対する布施の行為を重要視しています。

  • お寺に対する布施
  • 僧侶に対する布施

なので、一般的にみれば、サービスの対価としてお金を払っているという形にも見えますが、そのお金がちゃんとお寺の維持に繋がっていくというのであれば、それは「布施をした」というふうな捉え方をして、宿泊した人は「徳を積む」という感覚だったのです。

それを聞いた時、もちろん私自身僧侶なので布施について学ぶこと・すること・布施を受け取ることはありましたが、ここまで徹底してというか、すべてのことに関して布施を意識されていたことに。。。
知識では知っていても、すべての行いまで腑に落ちてないことに未熟さを感じました。

2年前に続き、今回もタイの信者さんを案内した2泊3日
あっという間でしたが、大変勉強になる2泊3日でした。

そして、自分の未熟さを感じる2泊3日でした。

日々勉強ですね。。。

次回、宿泊する際は、布施の気持ちをもって宿泊させてもらおうと思います。

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